長野県岡谷市の建築設計事務所 片倉隆幸建築研究室 長野県を中心に主に住宅設計・住まいの修景リノベーション、店舗・医院の設計を手掛けています。
Takayuki KatakuraArchitect & Associates
宗賀の家
工事始めにコンクリートの壁がところどころに建ち上がり、どんな建物が出来るのか?とご近所の方々が興味津々に思われていたようですが、施工後のひかえめな雰囲気に皆さん感動しているようです。
ファサード
一日の光の変化により趣を変える建物ファサード。周辺の環境に配慮した結果歴史のあるこの空間の魅力を引き出せたと思います。大きな弧を描く外壁と低く抑えられた軒によりヒューマンスケールになるよう配慮しています。
玄関
コンクリート打ち放し壁のある玄関。天井からは天窓からの光が広がります。
ホームバー
敷地の竹林を眺められるホームバーを計画しました。家族で仲間でホームパーティーを楽しみます。
家族室
寒い土地柄で日光のあたる時間の短い場所でしたが、オリジナルの暖炉と日当たりを設えて暖かい住まいになりました。
ダイニングキッチン
家族室の奥に配したダイニングキッチン。家具は空間に合わせて設計して造作しています。
主寝室
子供室
和室
浴室
写真撮影・写真著作:写真家 林 安直
「宗賀の家」
信州大学工学部教授・土本俊和記
宗賀の家は、平出遺跡として著名な宗賀村古代集落遺跡のすぐ近く位置しています。敷地の南にある丘の中腹には平出ノ泉という湧き水をたたえた池があって、そこから集落内に澄んだ水が流れています。ここは、保存された遺跡や清涼な水のほか、農村景観が民家とともに美しく残されています。
平出遺跡は、戦後まもない昭和20年代前半から調査が始まられ、すぐさま研究者がこぞって注目する場となりました。総合的な研究報告がなされましたこの調査は、考古学に限定されることのない学際的なもので、古代という時代に限定することもなく現代との比較が検討されていました。
平出遺跡の特徴はいくつかの年代層を複数あわせもつ複合遺跡である点にありました。建築史の研究者として東京大学から調査研究に参加した藤島亥治郎は、このとき、発掘遺構を踏まえて推定復原を検討するとともに、竪穴から民家まで住居が変遷していく過程を通時的に把握するという構想を持っていました。平出遺跡が複合遺跡であることを踏まえて、藤島は平安初期とおぼしき高床式建築址に注目しています。そして、藤島は堀立棟持柱構造を推定復原しました。他方で 藤島は、現存する民家に注目し、小屋組の架構などを類型化するなどの作業を踏まえて、現代に伝えられた民家と古代の住居との類似点を積極的に捉えようとしました。とりわけ、宗賀村に伝えられた本棟造をいくつか調査しました。
宗賀の家が設計された敷地にも本棟造をなす主屋があります。この本棟造を古代集落遺跡の調査研究の際、藤島亥治郎が訪ねています。その後も、藤島が平成14年(2002)7月に百三歳の天寿を全うするまで、藤島と御当主との交流は続いたとのことです。
この敷地を扱う際、まず思い付かれる手法として民家の再生があるでしょう。宗賀の家の場合、設計を担当した建築家・片倉隆幸が、施主との打ち合わせを踏まえて、長いエスキスを経て、選択した手法は、民家の再生ではなく、この敷地に新しい建物を付け加えるものでした。古いものと新しいものとを統合し、それらを互いに高めさせるデザインを選択したわけです。このとき、片倉は、古いものへの配慮を「作法」というコンセプトで捉えました。そして、本棟造の主屋という古いものと宗賀の家という新しいものとの建築的な関係を築きました。
宗賀には非常に長期にわたる変遷がありました。住宅に関して言えば、堀立柱をもつ竪穴住居から本棟造の民家に至る歴史がありました。このたび、ここに誕生した宗賀の家は、竪穴から本棟造までの歴史に対して、さらに新たな側面を付け加えた現代の住居であると位置づけることができる作品です。宗賀の家がたつこの集落に平出ノ泉は絶えず水を流し続けてきました。今後も清らかな水を流し続けるでしょう。
土本俊和
信州大学工学部社会開発工学科建築コース
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